僕は、ようやく学校へ行くことができた。
あのバス事故から、しばらく時間が経っていた。
事故の影響は想像以上に大きく、世間でも連日報道されていたらしい。
当然、学校も例外ではなかった。
「……やっぱり、迷惑かけちゃったよな」
僕は小さくつぶやいた。
もともと体が弱く、学校を休むことも多かった僕にとって、久しぶりの登校はそれだけで緊張するものだった。
教室の扉を開ける。
すると、いつもと違う光景が目に入った。
いくつかの机が空席になっている。
その上には、花瓶に生けられた花が置かれていた。
「……え?」
僕は思わず立ち止まった。
「僕のクラスにも、あのバスに乗っていた人がいたんだ……」
恥ずかしい話だけど、僕はクラスメートの顔と名前をあまり覚えていない。
体調の管理だけで精一杯で、ほかの生徒たちと交流する機会も少なかったからだ。
だから、同じ教室で過ごしていた人たちが亡くなったことを、今日になって初めて実感した。
僕は自分の席に座った。
教室は、いつもより静かだった。
やがて担任の先生が入ってきた。
「みんな、少し話がある」
先生は教室を見渡し、ゆっくりと言葉を続けた。
「今回の事故を受けて、しばらくの間、授業や学校行事を一部変更することになった。体育の授業や部活動についても、当面は中止する」
誰も口を開かなかった。
「それから、今日は授業を早めに終える。保護者の迎えがある生徒は、指定された場所で待つように。それ以外の生徒は、寄り道せずにまっすぐ帰宅すること。いいな?」
「はい……」
小さな返事が教室に響く。
(えっ、どうしてそこまで……?)
僕が疑問に思っていると、先生はさらに説明を続けた。
「実は、不審な人物の目撃情報も入っている。おそらく、まだ学校の周辺を取材している報道関係者だと思うが、十分注意してほしい」
先生は少し険しい顔になった。
「もし声をかけられても、勝手に答える必要はない。学校の先生が対応するから、学校へ連絡するよう伝えてくれ」
そのとき、教室の扉がノックされた。
別の先生が担任を呼びに来たのだ。
「すまない。少し席を外す。戻るまで静かに自習していてくれ」
先生が教室を出ていく。
その直後だった。
ガシャンッ!!
突然、激しい音が響いた。
僕は驚いて顔を上げた。
一人の男子生徒が立ち上がり、空席に供えられていた花瓶を床に落としたのだ。
割れた花瓶の破片が床に散らばる。
それなのに、周囲の生徒たちは誰も彼を止めようとしなかった。
まるで、彼がそうする理由を知っているかのようだった。
「……ふざけんなよ」
男子生徒は震える声でつぶやいた。
「俺は……認めてないからな」
その声は次第に大きくなっていった。
「なんで、あいつらのために花なんか飾るんだよ!!」
教室が静まり返った。
「俺をいじめてたんだぞ!! あの三人は!!」
僕は息をのんだ。
「先生が見てないところで、何度も何度も……! ほかの奴らにも口止めしてたんだ!!」
男子生徒の目から涙がこぼれた。
「なのに……死んだからって、急にいい人みたいに扱うのかよ……!」
誰も何も言わない。
「ほかの生徒と一緒に事故で死んだからって……俺がされたことまで、なかったことになるのかよ!!」
そのとき、騒ぎを聞きつけた先生が教室に戻ってきた。
「どうした!? 何があった!」
しかし、男子生徒は止まらなかった。
「先生!!」
彼は涙を流しながら叫んだ。
「俺、嫌だよ!!」
「宮城、落ち着きなさい!」
「嫌だ!! あんな奴らのために、教室に花なんか置かないでよ!!」
先生は何も言えなかった。
「俺だって……ずっと苦しかったんだよ……!」
宮城君は、その場にしゃがみ込んだ。
「うっ……ううっ……!」
泣き声だけが教室に響いていた。
誰も彼を責めなかった。
先生も、すぐには言葉をかけられなかった。
僕はただ、自分の席からその光景を見つめていた。
(……気まずい)
いや、違う。
気まずいなんて言葉で片づけちゃいけないんだろう。
でも、正直なところ、僕には何と言えばいいのかわからなかった。
亡くなった人たちのことを、僕はほとんど知らない。
宮城君が何をされていたのかも知らない。
だからといって、今ここで何かを聞くのも違う気がする。
(……今は、何も言わない方がいいよな)
僕はそっと目を伏せた。
床に散らばった花びらが、窓から入ってきた風で小さく揺れていた。
――それから数日後。
まさか、あの日泣き崩れていた宮城君と、僕が仲良くなるなんて。
このときの僕は、想像もしていなかった。
いや、それどころか。
後になって思い返すと、どうして僕たちはあんな形で知り合うことになったんだろう。
人生って、本当に何が起こるかわからない。
「……トホホ」
これが、僕と宮城君の長い付き合いの始まりだった。
